第7章 ふしぎな音楽 地球というひとつの惑星で、人びとが生活できる国境のない大陸、『エリジオン』の中で、一番小さなエリジオンV──。この大陸のエリアF66という場所にあるコミュニティーセンターが、近頃とても話題になっていました。 コミュニティセンターとは、その地域の人たちが自由に利用することができる共同施設でした。一年ほどまえに、エリジオンTからVまでの各エリアに建てられ、中には図書館や音楽室、体育館やプールなどがありました。まだ大陸自体が復興途中で、遊園地や映画館のような娯楽施設が、とても少なかったこともあって、休日などは、とくに各エリアのコミュニティーセンターでは、利用するさまざまな地域の人びとであふれていました。 エリジオンVのエリアF66のコミュニティーセンターが話題になっているのは、──別に、ここの建物だけが豪華だったりとか、特別な設備があったわけではありませんでした。この共同施設自体が、話題になっているというのではなくて、──このエリアF66のセンターに時どき≠そびに来るひとりの小さな女の子と、その女の子の演奏する音楽が、とっても話題になっていました。 その最近うわさになっている小さな女の子は、見かけが七歳?、八歳くらい?・・・いや、小さいけど、たぶん十二歳ぐらいで、肩よりも少し長いフワッとした黒い髪と、少したれ目で、いつもうるうると輝いているような大きな瞳が印象的でした。 彼女は、いつもおなじような服を着ていました。ちょっとインドのサリーという服に似ている、上着と長いスカートがつづいていて、頭からスッポリとかぶって着るような綿でできたうすい水色のかざり気のない質素な服をいつも着ていました。 女の子の名前は、ピアといいました。なんでも、生まれたばかりの赤ちゃんの頃から、ピアノの曲を聞かせると、なぜかすぐに泣きやんで、ごきげんになったすがたを何度も見ていて、おとうさんとおかあさんが二人で、『ピア』と名付けたそうです。 まだ『ピア』という名前が決まっていないとき、おかあさんがミルクをあげても、おむつを替えても泣きやまない、生まれて間もないピアに、いろいろな音楽を聞かせました。童謡のCDをかけたり、流行りの歌謡曲をかけたりしましたが、いっこうに泣きやみませんでした。そのピアに、おとうさんが、テレビのハードロックやヘヴィーメタルのコンサートを見せたら、もっと大きな声でビービィー、ビービィーと泣いてしまったこともありました。そんなことをくり返しながら、おとうさんとおかあさんは、まだ名もない、二人にとって初めての赤ちゃんを、いっしょうけんめい育てていました。 そして、生まれてから半年ぐらいたったある日、おかあさんはピアノの音にとても敏感な反応をする赤ちゃんに気づきました。クラシックでもジャズでもポピュラーでも、とにかくピアノの音やメロディーが聞こえてくると、泣きやんだり声をだして笑ったり、キャッキャ、キャッキャとよろこんで両手を動かしたりしていました。その中でも、モーツァルトやショパンのピアノソロの曲を聞かせると、とってもごきげんでした。またおとうさんは、赤ちゃんを落ち着かせたり、夜、寝かしたいときなどには、ヘンデルの『ラルゴ』やドビュッシーの『月の光』やシューマンの『トロイメライ』という曲などが入っているむかしのレコードを、小さな音量でよくかけてあげていました。 そんなおかあさんやおとうさんの愛情の中で、赤ちゃんのピアは育ってゆきました。 少女になったピアは、近くのエリアF66のコミュニティーセンターに、時どき≠そびに行っていました。 ピアは、ふだん自由な時間さえあれば、いつも学校の音楽室のアップライトピアノでピアノを弾いていました。けれど、エリアF66のセンターには、その近くに住むオーストリアの大使だった人から寄贈された『ヴェーゼンドルファー』というグランドピアノがありました。ピアは、このピアノの音がとても好きで、センターに行くと時間の許すかぎり演奏をしていました。 そして、そんなピアの弾くピアノを聴きたがる$lたちが、日に日に増えてゆきました。 ピアはこのセンターで、赤ちゃんの頃から好きだったモーツァルトやショパンの曲を練習したり、演奏しているわけではありませんでした。まだ小さいのに、すごいピアノのテクニックがあって、リストの超絶技巧の曲などを弾いて、音楽室の近くにいる人たちを驚かせているわけでもありませんでした。有名な映画音楽やスタンダードジャズなどを華麗 に演奏しているわけでもありませんでした。 えっ?じゃあ、ピアはあのセンターの大好きなピアノで、いったい何を弾いているの? ひとつの心の声≠ヘ、疑問に思いました。 ピアは、誰の曲も弾いていませんでした。 ピアは、いつも、とても自由に楽しみながら、自分のメロディーを奏でていました。その音楽は、即興演奏といえば即興演奏ですし、ピアのオリジナル曲といえばオリジナル曲でした。 ピアとピアの音楽が、話題になりはじめたきっかけは、こうでした・・・。 ピアと大のなかよしのアドおばちゃんが、コミュニティーセンターの音楽室を予約してくれて初めて行ったとき、ピアは、はやくグランドピアノを弾きたいというワクワクする気もちを抑えきれずに、時間より少し早めに部屋に入ってしまいました。音楽室の中では、グループで合奏の練習をしていた人たちが演奏を終えて、バイオリンやフルートなどの楽器をしまっていました。そして、ピアは入口のドアのところで、大きな瞳を輝かせながら、ヴェーゼンドルファーのグランドピアノを見つめていました。 「つぎ、君がこの音楽室、使うの?」 と譜面台をかたづけていた一人の男の人が、笑顔でピアに声をかけました。 「・・・・・うん。」 少し間があってから、ピアはその男の人の目を見て、ゆっくりとうなずきながら、返事をしました。 ピアは、ふだん、とても明るくて活発な子でしたが、恥ずかしがりやで人見知りしやすい面もありました。 男の人は、続けてピアに声をかけました。 「ピアノ、好きなの? ピアノ弾くの?」 「・・・・うん。」 とピアは、モジモジしながらこたえました。 すると、横から女の人が、バイオリンをケースにしまいながら、 「かわいいね──。目が、とってもきれい──。ピアノ弾くんだぁ。わたしたち、もう、かたづけたら終わりだから、弾いていいよ!どうぞ──。」 とピアに、やさしく語りかけるようにいいました。 するとピアは、一瞬、女の人の目を見て、笑みをこぼしながら、ピアノにむかって走ってゆきました。 「ほんとに、ピアノが好きなのね。」 と女の人は、微笑みながらいいました。 そのあとグループの人たちは、楽器や使った椅子をかたづけながら、今度の練習日などを決めていました。 ピアは、もう自分の世界にはいっていました。 あとから音楽室に入ってきたアドおばちゃんは、ドアの辺りに立って、ピアのうしろすがたを黙って見つめていました。 ピアは椅子の高さを高くして、興奮しながらピアノのまえに座りました。しばらく鍵盤を見つめたあと、ピアは高いキーの鍵盤は右手の人差し指で、低いほうは左手の人差し指で、まるでピアノの調律師のように、一音一音、音を確かめるように大事に大事にゆっくりと、一本の指で弾いていきました。 ドシラソファミレドシラソ・・・・・・・・ ラシドレミファソラシドレミファソラ・・・・・・ ピアは、初めて弾くグランドピアノ、──初めて弾くヴェーゼンドルファーの音に興奮しきっていました。いつも弾いている学校のアップライトピアノよりも、ぜんぜん、厚みがあって深みがある音に感激しきっていました。 ピアは二、三秒、かるく目を閉じ、さらに自分の世界にはいって、今度は両手でピアノを弾きはじめました。 ♪ミシレラドソシファラミソレファドミシレラドソシファ〜〜ド──・・・♪ この音≠、なんと表現したらよいのでしょうか? メロディーは、高音から低音に流れるように響きわたり、・・・そう、そう、まるで宇宙にフワッと浮かびながら、流れ星を見ているような、そんな幻想的な音≠ナした。 すると徐々にグループの人たちは、ピアのほうを見て立ち止まり、かたづけていた手も休め、打ち合わせのような会話もなくなり、音楽室にはピアノのメロディーだけが、しずかに響きわたりました。 ♪ミ──ソ── レ──ファ──ド──レ〜〜〜〜・・・・♪ きっちりとしたメロディーというわけでもなく、しだいに単音がゆっくりと順番ずつ、──まるで湖にしずかな波紋がひろがるように、流れてゆきました。 そのままピアは、六、七分、気もちよさそうに演奏を続けました。そしてその曲、そのメロディーの最後の音の鍵盤をおさえたとき、ピアはゆっくりと顔を上げ、まぶたを閉じました。それから二○秒ぐらいして、ピアは鍵盤から小さな手をゆっくりと離し、目を開けました。 ひとつの心の声≠ノは、宇宙に小さな星が一つ、二つと誕生していったようなイメージが浮かびました。 パチパチパチパチ・・・・・・。 音楽室に、数人の小さな拍手が響きました。アドおばちゃんも入口のドアのところで、音にならないような小さな拍手をしていました。 グループの人たちは、もう、かたづけも忘れ、部屋の床にそのまま座って、ピアの演奏を聴き入っていました。そして、その中の一人が立ち上がり、ピアに近づきいいました。 「とっても、よかったよ!すばらしいね。なんか、ぼくなんか、からだが、とってもかるくなったよ──。からだじゅうの毛穴から、悪いものが全部、流れ出ちゃったような感じだよ。──君は、名前なんていうの?」 「・・・・ピア。」 とピアは、椅子に座ったまま、感激している男の人を見上げながらこたえました。 「えっ?ピア?・・・ピアノのピアちゃん?君にピッタリな名前だね。」 男の人は、少し声を大きくして笑顔でいいました。ピアも、名前が自分にピッタリといわれ、ちょっとうれしい気もちになって、ちょこっと笑顔でうなずきました。 するとこんどは、別の男の人が床に座りながら、ピアに声をかけてきました。 「ねえ、ピアちゃん──。いまの曲、『全音音階』、使ってたよね?」 ぜんおんおんかい???とピアは、こころの中でくり返し、首をかしげました。 「聴いてて一瞬、ドビュッシーとかサティーの印象派音楽とも思ったんだけど、こんな曲聴いたことないし、型にはまったようなニューエイジミュージックともちがうしなあ。」 と男の人は、ひとりごとのように、ピアの曲を解釈しようとしていました。 このグループの人たちは、みんな音楽大学に通っている学生でした。 ピアは、男の人が何をいっているのか、さっぱりわかりませんでした。ピアは、むずかしい音楽用語や、有名な作曲家や名曲といわれる曲名も、あまりよく知りませんでした。 ひとりごとのようにブツブツといっていた男の人が、ふたたびピアのほうを向き、 「あ〜、ピアちゃん──。結局、いまの曲は誰の曲だったの?」 と質問しました。 そう聞かれたピアは、 「えっ?誰のっていわれても・・・。わたしの曲──っていうか、いま≠フ気もちをそのまま音にしたの──。気もちのままに弾いただけ・・・。」 「え──っ!?」 と音楽大学の合奏グループの人たちは、全員、声を大きくして驚きました。 「えっ?じゃあ何──?いまの曲、ピアちゃんのオリジナル?」 「アドリブなの?即興──?」 |
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