第8章 光のしゃぼん玉と光の川
ピアが、エリアF66のコミュニティーセンターにピアノを弾きに行くようになってから、一年が過ぎようとしていました。
ピアがセンターにくる日は、音楽室にはいつも人があふれていました。プロのピアニストでもない、素人の小さな女の子の演奏を聴きに、エリジオンの各地から、──ある人は飛行機で、ある人は船に乗って、大勢の人びとが訪れていました。ピアがくる何時間もまえから、センターの付近では、──まるで、人気アーティストのコンサートの当日券を求めるような雰囲気もありました。
ピアの音楽が話題になりだしてから、恥ずかしがりやのピアは、いつもアドおばちゃんに連れられ、センターの裏口から音楽室に入っていました。でも、ピアは、たくさんの人たちが自分の音楽を聴きに来てくれることを、こころの中では、とってもよろこんでいました。
ピアが音楽室にあらわれると、いっせいに大きな拍手が湧き起こりました。
パチパチパチバチバチバチバチバチ・・・・!!
「ピアちゃ〜ん!ピアちゃ〜ん!」
「ピアちゃ〜ん、がんばって〜!」
ピアは、モジモジしながらピアノのまえに立ち、聴きに来てくれた人たちに、ちょこっとおじぎをして、椅子に座りました。ピアノのすぐ近くまで、たくさんの人たちが、──まえのほうには、小さな子どもたちや車椅子のおばあさんが、──うしろのほうには、さまざまな人種の大人たちがいました。ケガをして腕や足に包帯を巻いている人や、病院から外出してきた人たちもいました。
ピアは鍵盤をまえにすると、いつものようにかるく目を閉じました。すると、ガヤガヤしていた室内が、一瞬にして、シーンとしずまりました。そしてまた、緊張感のある音のない音≠ェしてきた頃、ピアは鍵盤にゆっくりと指をのせ、演奏をはじめました。
♪ソシレ♯ファ〜♯ファラ♯ドミ〜ミソシレ〜♯ファラ♯ドミ──・・・♪
この日は、右手の速いフレーズの音≠ナはじまりました。一色、一色、順々に、虹の弧ができあがってゆくようなイメージの即興演奏でした。その音≠ノは、さまざまな色に輝く光≠ェ見えるようでした。
音楽室の中のたくさんの人びとは、ピアのふしぎな音楽に吸いこまれてゆきました。音楽好きの大人たちは、手や足でこの曲のリズムをとろうとしましたができませんでした。いつものようにピアの演奏には、独特なリズムのゆらぎ≠ニ間≠ェありました。あるときは、すばやく次のメロディーに移り、またあるときは、次にもう音が出てこないのかと思うぐらい長い間≠ェあったりしました。でも、人びとは、この変則的な演奏にやすらぎを感じていました。この曲の途中の長い間≠ノゾクゾクッと感じた人もたくさんいました。遠くの地から、ピアの演奏を意気込んで聴きにきた人たちも、しっかり音楽を聴こう!──というつよい意識がからだから抜けて、しばらくすると目をトロ〜ンとさせ、とてもおだやかな表情で聴き入っていました。ピアは、このF66のセンターにくる度に、音楽を通してたくさんの人びとと出逢い、このふしぎな感覚≠伝えていました。
パチパチパチバチバチバチバチバチバチバチ・・・!!!
一時間に及んだピアのミニ・コンサート≠フ最後の曲の演奏が終わると、音楽室には割れんばかりの拍手が湧き起こりました。そして、ピアノの椅子に座るピアをかこんで、みんながそれぞれ自分の感想をいい合っていました。
「ピアちゃん、ありがとう。よかったわよ!わたし、あんなに痛かった腰の痛みがなくなっちゃったわ!ウソみたい・・・。ほんとに、うれしい・・・。」
杖を持った年配の女性が、興奮しながらピアにいいました。
「オレ、ふだん音楽って聴かないし、今のもハッキリいって、よくわかんなかったんだけどね──。いや、恥ずかしいな──。何だかよくわからないけど、別に、悲しいわけでもないのに涙があふれてきちゃったよ・・・。何なんだ、これは・・・。でも、・・・涙を流すなんて、十年ぶりかなあ・・・。」
中年の男性が、目もとの涙をぬぐい、照れながらいいました。
さまざまな人種の大人たちが、それぞれのことばで、ピアのふしぎな音楽の感想を語りあっていました。子どもたちのほうは、みんな感想などはあまり話さずに、ピアの近くに寄って、すごいなあ〜という尊敬とあこがれの目で見つめていました。
エリジオンのいたるところで、人びとの争いが起こっていましたが、この音楽室のいま≠フ空間は、人びとの笑顔とたくさんのワクワクした気もちでいっぱいになっていました。たのしく踊るような空気の粒≠ナ調和されていました。
この日のピアのミニ・コンサートには、エリジオンTで評判な『ハート・ビート』という音楽雑誌の取材が入っていました。
「おつかれさま、ピアちゃん。とってもよかったよ。」
と『ハート・ビート』の若い男性記者がいいました。
「・・・ありがとう・・・。」
ピアは、少し照れながら、小さな声でいいました。
そして記者は、ピアにいろいろな質問をしていきました。
「え〜っと、ピアちゃんは、誰か作曲家にピアノを習っているの?」
「ううん。音楽の授業のワルワラ先生に、昼休みとか、放課後に教えてもらってるの。」
「クラシックかなにか?」
「そう・・・。クラシックもワルワラ先生も、とっても好きなんだけど、・・・でも、ピアノのレッスンはあんまり・・・たのしくないかなあ──。」
「どうして?ピアノ、好きなんでしょう?」
「うん。ピアノは、大好きなんだけど、怒られてばっかりだから・・・。」
とピアは、少し恥ずかしそうに、背中をまるめて、声を小さくしていいました。
「怒られるって、たとえば?」
「う〜ん。たとえば、譜面を指されて、『そこは、フォルテなんだから、もっとつよく!』とか、『そこは、アレグロなんだから、もっと速く弾きなさい!』とか、・・・わたし、譜面どおりに弾かないことが多いから、いつも怒られてばっかりいるの──。」
とピアの話を聞くと、記者は苦笑いに似た笑みを浮べました。
そして、ふたたび質問を続けました。
「ピアちゃんは、この音楽室とか、みんなのまえで演奏するときは、全部、自分の曲とアドリブだそうだけど、作曲は誰に習っているの?」
「誰にも教わったことない。ワルワラ先生にも、・・・。ひとりで自由に気もちのままにでたらめに弾いているうちに、だんだんできるように、・・・浮かぶようになったの。」
「へぇ〜、独学かあ。すごいね!じゃあ、曲はどんなときに浮かぶの?」
と若い記者は、感心しながら聞きました。
「う〜ん。・・・ある日、とつぜん──。」
とピアは、記者の目を見ていいました。
「とつぜん・・・?曲の感じからすると、やっぱり、海とか山とか、そういう自然に触れたときに浮かぶの?」
「ううん。そんなことないよ。海や山へ行くと、気もちがスッキリして、いろんなことかんがえてた頭の中も真っ白になって、なにも浮かばないことのほうが多いよ──。曲が浮かぶときは、いつもとつぜん、・・・そう、とつぜん、空やこの空気に流れている光のしゃぼん玉≠ェ、わたしのからだの中に入ってくるの──。」
とピアは、小さかった声を少し大きくして天井のほうを見ながらいいました。
「光のしゃぼん玉──!?」
と記者も少し声を大きくして聞き返しました。
「そう、光のしゃぼん玉──。えっ?見えるでしょ?いつでも、どこの場所でも、空気の中を、とってもきれいな小さな小さな光の粒がたくさん、・・・川のように流れているのを・・・。」
「え〜っ?見えないけど・・・えっ、なに、それピアちゃんには、ここでも見えるの?」
「えっ、どこでも、空に流れているでしょ?どんなにさびれたところでも、どんなに汚い場所でも、空気には、あんなにきれいな光のしゃぼん玉の川が流れているじゃない──。ここにだって、ほら、・・・。」
といって、ピアは、なにもない天井を指さしました。
記者は驚いた表情で、天井とピアの顔を交互に見ました。
そして、少し疑いの気もちで、ふたたび質問しました。
「え〜っ?ほんと〜?じゃあ、さあ、ピアちゃん、そのしゃぼん玉って、空とかこういう空気中にしか見えないの?」
音楽雑誌の若い男性は、記者になって、こんな質問をしたのは初めてでした。
「えっ?わたしのからだからも、みんなのからだからも、光のしゃぼん玉は、いっぱい出ているじゃない──。」
とピアは、なんでそんなわかりきったことを聞くの?──という表情でこたえました。
「オーラ≠ニか、気≠フことを、いっているのかな・・・?」
と若い記者は、ひとりごとのようにいいました。
「えっ?オーラ≠チて・・・?き≠チて・・・?」
とピアが聞くと、記者はこたえずに、ピアの目を黙って見つめました。
そして、二人の短い沈黙のあと、ピアは続けていいました。
「でも、わたしとか、みんなから出ている光のしゃぼん玉っていろいろ変わるし、・・・人それぞれ、いろんな色があるんだよね。」
「いろんな色って?」
記者は、音楽の取材になっていないような質問をしました。
「だって、そうでしょう?泣いたり、笑ったり、怒ったり、ワクワクしたりすると、みんな、光のしゃぼん玉の色が変わるじゃない──?それに、いつもいつも、くら〜い色のしゃぼん玉を出している人もいっぱいいるし・・・。」
「それって、だれ?」
と記者は、興味ぶかそうに聞きました。
「・・・大人の人たち・・・。大人の人たちは、男の人も女の人も、暗い光のしゃぼん玉を出している人が多い。空の光の川は、いつも、あんなにきれいに輝いているのに・・・。この部屋の空気にだって、ほら、・・・。」
とピアは、また少し声が小さくなって、なにか残念そうな感じでいいました。
そして、ピア自身、どんな人からも出ている光のしゃぼん玉≠竅A空中に流れるこの光のしゃぼん玉の川≠焉A他の人たちには、ほんとうに見えないのかも──と思うようになりました。
宇宙の中で生きている、地球の中で学んでいる、ひとつの心の瞳≠ノは、映っていました。ひとつの心の瞳≠ノは、はっきりと見えていました。
音楽室でピアが、みんなのまえで演奏していたとき、ピアが奏でるピアノから出たたくさんの音という空気の揺れの波≠ノ乗って、その空気の粒≠謔閧焉Aもっともっと小さくて、ピア自身から無数に出ている何百色もの光り輝くしゃぼん玉≠ェ、フワフワと空中を飛んでゆき、聴いている大勢の人たちのからだの中にスーッと入ってゆくのが・・・。
ひとつの心の瞳≠ノは、はっきりと映りました。
その光のしゃぼん玉は、ピア自身のこころの奥のふかいふかい“意識の光”の無数の粒のようでした。
ピアの奏でる音という空気の波に乗った、ピアのからだから出る何百色もの光のしゃぼん玉=A──意識の光≠フ輝きは、空や空中を流れる光の川≠ノ劣らないほど、あたたかく美しいものでした。
ひとつの心の瞳≠ヘ、前後左右、そして上下と、──まるで、球体の表面すべてに自分の目があるかのように、三六○度すべての角度から同時に、そのピアノのメロディーという空気の波に乗った美しくキラキラと輝いた光を見つめていました。
ピアがピアノを奏でているときは、人びとのすがたが見えなくなるくらい、音楽室が何億、何兆個もの光り輝くしゃぼん玉でいっぱいになっていました。
その光景は、まるで、部屋の中に、かぞえきれないほどたくさんの小さな星が、ゆっくりと降りそそいでいるようでした──。
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