■ あとがき ■ 二十歳の冬、とある日中、──感情のままにピアノを弾いていると、私のからだに突然、光≠ェ入ってきました。光≠ヘ、私の全身に、色鮮やかに拡がってゆきました。そして、ふと気がつくと、私の瞳から、とめどなく涙が溢れでていました──。 この一瞬の出来事を通して、私は、それまでのネガティブな意識から解放され、知らなかった(生まれてから、ずっと忘れていた)いくつもの自分≠ニつながり、その後のものの考え方や生き方の方向性が、はっきりと見えるようになりました。 その光≠フ情報が、『エリジオンの光』でした。 壮大で繊細な、難解に見えてシンプルで、力強くてあたたかい、この光≠フ情報を、多くの人々に伝えていくために、初めに私は、音楽という表現方法を使いました。それから、美術という形でも表わしながら、出逢う人たちに伝えてきました。 そして、十年以上の月日が経った今、音楽のメロディーや美術作品という抽象的な表現だけでなく、一番ストレートに伝わる言葉という形で光≠伝えるために、この童話を書きました。 子どもでも、小さな胸の奥で何か≠感じてもらえるように、なるべくわかりやすく描いたつもりです。読みすごしてしまいそうな簡単な文章の中にも、深い意味、深い気もちをこめて書きました。 だからといって、すべてを理解しようとしたり、無理に目覚めようとしたり、悟ろうとする必要はありません。ただ、子どもたちも、大人の方々も、この『エリジオンの光』を何度も読み返して頂ければ嬉しく思います。 愛≠ニいう言葉のとらえ方が、人それぞれ違うように、この一冊の本も、読むその時々によって、意味のとらえ方が変わってきます。言葉の背後に漂う空気の感じ方が、自然と変わってゆきます。 その心の変化は、意識の進化≠サのものでもあるでしょう──。 この童話は、単なる空想や想像の世界ではありません。 この本の存在そのものが、ひとつのエネルギーです。 私は二十歳の冬から、この童話の中を生きてきました。 そしてこれからも、この物語の中を歩いてゆきます。 そう、本文に描かれた音楽や絵画や詩画は、現実に作品として存在しています。 ピアノのメロディーを聴いた人たちのいくつかの感想、絵画や詩画を観た人たちの涙・・・など、もうすでに実際に起きている出来事を、そのまま描いているところも、多くあります。 そして、光るピラミッド≠ニ呼ばれたあの『エリジオン・ホール』も、この現実の世界に創りあげるつもりです。なぜなら、この光≠ノつつまれ生きながら、この光≠伝えていくことが、私自身の喜びであり、またこの瞬間が、私自身を一番光り輝かせている時だからです。 私は、とても感謝しています。この本を通して、あなた≠ニ出逢えたことを・・・。 そして作品や演奏や、この童話を通して、これから出逢い、つながり、共感しあえるかもしれない人たちに心ときめかせています。 世界中で生きているあなた≠ニいう皆様も、ほんとうの自分≠フ色と形で、どうぞ光り輝いていって下さい。皆様が、それぞれ一番大好きな方法で、出逢う方々に自身の輝く光≠伝えていって下さい。 私は、改めて感謝しています。生まれてからこれまで、さまざまなことを学ばせてくれたすべての出逢いと経験に・・・。 地球に住む皆様の心に、『エリジオンの光』のエネルギーが伝わりますように・・・ 本心の意識が、あなたの光の道を創る。 一九九九年 春 岡田 和樹 |